藤枝市の宝生流謡曲 本文へジャンプ
トップ                      更新日 2019/8/9 by sogo
  ご覧いただきありがとうございます


残暑お見舞い申し上げます


8月12日(祭日)13時から
掛川生涯学習センター
能 黒塚 シテ 辰巳満次郎


宝春会・掬水会・巽会合同浴衣会終了
7月21日(日)午後1時から
焼津市小川 春日舞台
ミニサイズですが本格的な能舞台です
仕舞と素謡の発表会です
掬水会の出し物
仕舞 小歌、雲雀山、蝉丸、笠之段、敦盛
素謡 東北、藤、八島
 
能画 藤(酒井延子 わんや書店)

  節木増(ふしきぞう)

 鬘物のシテの女性に用いる増女の一種
鼻の付け根に木の節が出ているため
節木増といいます。
端正で気高い美しさがあります。

 
令和時代がより良い世になりますように。
藤の花も咲きそろいました。

4月6日やっと桜花の満開 
 
  藤枝文化協会寄贈(平成22年)の桜木
 
    鬼岩寺のひな飾り
 
    田中城下屋敷の茶屋
 
     下屋敷横の六間川の桜満開


入場無料 お誘い合わせでどうぞ
藤枝市下屋敷謡曲鑑賞会
桜にちなむ演目を謡います
平成31年4月13日(土曜日)午後0時30分~2時
田中城下屋敷茶室にて 
羽衣、桜川の素謡を行いました。
当日は暖かな陽気に恵まれ、鑑賞者も約30人お見えになりました。
有難うございました。
下屋敷横の六間川畔の桜も散り始め川面に
桜花が流れておりました。これを網ですくえばまさしく
桜川の場面になります。


   
   

第10回 静岡県宝生会大会の御案内(終了しました)
日時 平成31年3月10日(日)午前11時開始
会場 焼津市焼津公民館アトレ 三階和室
県下各地で宝生流謡曲を楽しむ人たちの
謡・仕舞の発表会です
静岡掬水会の出し物
素謡 3番 忠度、雲林院、羅生門
仕舞 4番 杜若、小督、阿漕、海人


 募 集 体験は無料です
謡曲・仕舞を体験してみませんか

全く初めての人、以前に少しやったことがある人
能、狂言など古典芸能に興味のある方
お腹から声を出し謡ってみたい方、
新しい趣味を探しておられる方
源氏物語や平家物語、古今集など
古典文学に興味のある方
ボイストレーニングをしたい方
自分の声に自信のない方 などなど
動機はいろいろで結構です。

とりあえず気楽に体験してみませんか。

残念ながら謡・仕舞を嗜む人の高齢化及び減少が
顕著になってきました。

幽霊が主人公の能、日本人の何がこのような演劇を
作り出したのでしょうか。中世人の宗教観・死生観を
能を通して考えるのも面白いと思います。
700年以上続く伝統芸能を体験してみましょう


会 場 藤枝市青島北交流センター
和室、学習室 
令和元年
8月7日(水)、21日(水)

9月19日(木)、26日(木)
10月17日(木)、30日(水)
午前9時から12時(1回30分程度)
継続するようでしたら
   月謝(2回分) 謡のみ 1,000円      
謡と仕舞 1,500円

当日、直接おいでいただいても結構ですが、
事前連絡頂ければ確実に対応できます

持ち物 手ぶらで結構です
連絡先 090-8459-7114
054-635-1681(そごう)
 
 謡 曲 の 役 得 
 1 声を出すことで自然治癒力を増す。
 2 腹から声を出すことで健康増進が図られる。
 3 古典の名句に触れることにより心が潤う。
 4 道具がいらないから身軽そして安上がり。
 5 結婚式や異文化交流で活躍の場ができる。
 6 居ながらにして名所・旧跡巡りができる。
 
令和元年度も「子ども文化体験教室」謡曲の部を
7月から開催致します。
今年度は9回目になります。参加者は謡、仕舞を稽古して
市民文化祭において発表いたしましす。
ご支援をお願い致します。

7月20日(土)から11月まで10回稽古します。
11月24日生涯学習センター及び12月3日の市民会館ホールでの発表をします。
写真は昨年の稽古風景
 

 藤枝市民文化祭秋の祭典

  謡曲の部発表会
 11月3日(祭日) 10時から16時まで
 市民会館ホールです。


 観世流と宝生流 交互に発表します。
 両者の違いを発見するのも楽しい
   見方かも知れませんね。
 宝生流では子供文化体験教室の生徒12人の
 発表があります。短期間の稽古でしたが上手に
 なりました。御期待下さい

 
 
   11月3日の市民文化祭発表会 子ども謡隊
 
 
 12月2日子ども文化体験教室合同発表会 市民会館
 

「能」は、今日まで700年余りも伝えられて現存する世界最古、
 世界史上最長寿、そして日本最初の本格的な演劇です。
 舞と音楽と物語が1つに凝縮・昇華されてきた総合芸術です。
 中世の息吹というべき宗教思想や文学性が色濃く反映されています。
 「能」は難しいと言われますが、一つには使われている言葉や所作の
 意味が具体的に分かりにくいということがあります。更に何よりも
 曲の背景にある中世的世界観が、もはや今日の我々になじみが 薄い
 ということに起因しているように思われます。
  しかし、「能」は時代・世代を超えて人間が抱える感情を表現し
 今日に生きる私たちの苦悩や喜びを共有のテーマとして現代にも
 生きています。
 (能を読む 監修 梅原 猛 角川学芸出版から引用)
 焼津市のサツキ展   日頃の丹精により美しく咲きそろっていました。

焼津市文化会館5月27日
 満開のさつき素晴らしいです。

  平成29年藤枝市民文化祭謡曲の部
10月22日(日)生涯学習センター
子ども謡隊12人による連吟(高砂、羽衣)

連吟 高砂(四海浪)、羽衣(キリ)を無本で謡いきりました。   
          藤枝市の宝生流
 
古いことは分かりませんが、昭和36年10月に小川義次師がその師匠である高橋進師を来賓としてお迎えし「第1回藤枝架水会大会」が志太温泉潮生館において開催されました。小川義次師は、大学時代に伯父の竹内寿平氏(後の検事総長宅に兄の小川国夫(作家)氏と共に下宿されたのが縁で、宝生流の重鎮でありその後人間国宝に指定された能楽師の高橋進師に弟子入りされました。大学を卒業後藤枝に戻られ、家業の製紙会社を継ぎ多忙な日々にもかかわらず、高橋師のご指導のもと稽古を続けられ能楽の職分(プロ)になられました。この間、地元においても後継者の育成に力を注がれ教授嘱託者を27人輩出されました。
 平成7年には自宅に本格的な能舞台を新築されました。油ののりきったこれからというとき残念ながら平成10年11月30日69歳で急逝されました。
「第1回藤枝架水会大会」以来50年目の平成22年には、「第50回記念大会」が宗家をお迎えし焼津グランドホテルで盛大に開催されました。        

 
現在は、東京から若手のホープ能楽師水上優師が指導にみえられて「静岡掬水会」と名称を改め、会員20人が継続して活動をしています。

 平成31年 宝生会予定番組  イベント情報へ
 下屋敷 菊花展 ,滝沢の紅葉               
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 蓮華寺池公園を歩く                   
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 岡部の素晴らしい文化財(志太の木喰仏)  
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 平成29年市民文化祭発表風景       
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平成29年藤枝市民文化祭謡曲の部
10月22日(日)生涯学習センター
後継者育成事業「子ども文化体験教室」謡曲の部には、今年は小学1年生から大学1年生の12人が応募してくれました。 7月~10月の10回の謡、仕舞の稽古に励んでくれ、全員そろって市民文化祭の発表がしっかりと出来ました。有難うございました。また来年も挑戦してくれると嬉しいです。

 猩々小学1年生
  紅葉狩 小学4年生
  玉葛 高校2年生

  鶴亀 小学5年生 
 
   経政 高校1年生
 
   猩々 小学1年生

  紅葉狩 小学3年生
 
  玉葛 中学1年生
   熊野 小学6年生

  会員の素謡 桜川
 
   会員の素謡 井筒

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  2013年6月22日富士山が世界遺産に登録されました。当初除外視されていた三保の松原も含まれました。  能「羽衣」の舞台となった三保の松原から見た富士山はとても素敵です。この景観をいつまでも大事にしたいものです。
             
 

  宝生流の流風と特徴               
宝生流は「謡宝生」といわれほど謡を重視する流儀です。
つねに基本を正確に、堅実に演ずることにあります。
仕舞の型はどこまでも厳格ですが、幽玄な趣を備えています。地味で外に現れる型は少なく、内に籠る力を充実させ、しかも気品と清楚の風姿を尊ぶ、一見すると渋いという感じです。
流儀全般が遊芸などという観念が全くなく、華美に流れず自分の修養情操の向上に資するという気風が漲っています。
          謡の稽古について  宝生 九郎
 
宝生流の謡は、口先だけでは謡えません。腹を据えて、臍下丹田から声を出すことになります。もちろん最初からそんな風に行くものではありません。初めはどういう声でもいいのです。これが謡いこんでいくうちに、自ずとおさまってきます。今1つ「開口」をやかましくいいます。開口とは発音をハッキリすることであります。宝生流の特徴に当り(音を当てて止めること)と生み字 (当てて止めたあとその字の母音をしっかり出す)ことにあります。
 能と言う芸術が650年の歳月をかけて練りに練り上げた結果を一口に表すならば、
人間の臭さの抹殺、生な感情の抑圧ということでしょう。それが  「幽玄」の世界を具現せしめるためには、ゆるがせにできない戒律なのです。 能のみならず素謡において、あまり感情を込め過ぎると曲是から遊離するばかりではなく曲趣をぶち壊しかねません。芝居がかったり声帯模写的になってはいけません。   

謡曲の
    「これならわかる、能の面白さ」林 望著
    (淡交社、平成18年発行)からの引用しました
 能のことばに遊ぶとき
  生まれて初めて能を見たとき・・・・・ああ、なんて素晴らしいいんであろう、とも思わなければたちまち魂を引きつけられてしまった、なんてこともなかった。まったく正直に言えば
「へええ、これが能か、なんだかさっぱりわからなかったなあ」という印象であった。その時観たのは「羽衣」であった。ただきらびやかな衣装と儀式的で端然とした動作とに、好奇心を刺激されたというのがありていな気持であっただろうか。
 ところが、それから後、観世流の津村禮四郎師に師事して能を学ぶことになったとき、実際に「うたい」という音楽付で能の詞章を読んでみて驚いた。
 ただ目で見て、文字で理解していただけでは全然分からなかったものが見えてきたからである。それは、能のことばの「美しさ」である。「詩文としての力」である。
謡曲の美は、文字で見ただけでは分からないし、それを客体として耳で聞いただけでも分からない。自分の目で読みながら、同時に「うた」の形で朗唱したときに分かってくるリズムや「色合い」があるのである。
 羽衣の幕開き、颯爽とワキ・ワキツレが登場し、こんな「一セイ」の謡を朗ずる。「風早の、三保の浦曲を漕ぐ舟の浦人さわぐ波路かな」ただこの1行の謡。「カアーザハヤノーミヲノウラワヲコグフーネノー・・・・・」かなりスピード感のあるさわやかな節に乗せて謡いわたる。
 こういうのを、自ら謡ってみると、直ちにひろびろとした海面が想起され、なんだか颯颯たる海風までが頬に感じられるくらいの思いがしてくる。実際の舞台では、この1節はワキ方の担当でシテ方は舞台で謡うことはないのであるが、謡曲の稽古では、すべての役割を全部謡うことになっている。男・女・老人・神・亡霊・・・一切の役割すべて謡って覚えるのである。 そういうふに、よくよく習い覚えたのち、ワキ方の役者たちが殷々たる声で舞台上に謡うのを聞くと、それはもうアッと驚くほど、聞こえ方が違ってくる。なんだか分からなかった文言は、すんなりストン肚に落ち、謡ってみたときに感じた渺々たる海景が、舞台の向こうにありありと見えて来るような気がしてくるのである。  後省略

 つまるところ能の詞章というのは、文学(詩)と音楽があいまって、豊かな空間を描きだしているのが分かる。
 そういう表現の美しさということを言うならば、能はどの曲にも、どこかにそうしたところがちりばめられていて、どうか皆さん、ここのところを美しく想像してくださいとばかりに描き込まれているものなのだ。 後略



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